元ひきこもりが、億の売上を生み出すホームページを作れるようになったきっかけとは?【1】

登校拒否・高校中退・ひきこもり(ニート)生活・社長就任

広告デザイナー時代、
使用していたパソコンはAppleのMacでした。

思えば1990年代を境に
デジタル化やインターネット化の大波が
一気に押し寄せつつありました。

産業革命依頼の衝撃で、
私はいち早くパソコンでデザインをするスキルや
インターネットスキルを独学で習得していきました。

その後Windows95の登場で、
世界中に爆発的にインターネットビジネスが
広がりつつあったころ私は結婚しました。

2001年には、妻が代表をつとめていた会社を
事業承継し代表になりました。

技術面でのスキルは習得し、
制作面での自信はありましたが、

事業を営むうえで最も必要なセールススキルや
コミュニケーションスキルには一抹の不安がありました。

その理由のひとつは、
高校時代のある経験が根底にあったからです。

それは「対人恐怖症」。

さかのぼること高校2年の夏

私は友人と深夜、虫取りにでかけました。

自然豊かな田舎町ではあたりまえの夏の光景。

さほど収穫もなかったので、
帰ろうと山から降りてきたところで
運悪くパトカーと出くわしてしまいました。

これが「深夜徘徊」という立派な補導理由だといわれ、
パトカーに乗せられそのまま派出所につれていかれました。

私は、たいして罪の意識もなく
残りの夏休みを過ごし、
普通に登校しました。

始業式の全校朝会での生徒指導部からのアナウンス。

「この夏、たった一人だけ補導された者がいる。」
「心当たりのあるものは名乗り出るように」
とのこと。

いつもなら、複数人は必ずいたであろう補導者が、
その夏休みに限って私ひとりだったのです。

その後、恐る恐る生徒指導部におもむき、
謝罪をし、正直に理由を話、事なきをえました。

しかし安心しきっていた私に、
担任だけは理由はどうあれ許せなかったようです。

思いっきり顔をなぐられ、
その後、反省日誌を進級するまで書かされ続けました。

反省することは大事なことだと思います。

しかし、反省だけし続けていると
何の価値も生まないのです。

この頃、うつ病という病名があったか定かではないですが、
間違いなく気持ちも心も落ち込み、
ブルーな毎日をすごしていた記憶があります。

そんな毎日を過ごしていたある日、
ふと鏡を見ると
頭の上に円形脱毛症ができていました。

後にこれがどんどん拡大していき、
気にすればするほど進行。

しまいには全身の毛までもが
抜け落ちてしまいました。

そんな私は、思春期真っ只中。

高校2年の夏休みをさかいに、
学校にいけなくなり登校拒否。

そしてそのまま高校を退学。

20歳になるまで部屋からほとんど出ることのない
ニート生活を送っていたのです。

そんな対人恐怖症が少し残っていた私に、
営業や交渉などがつとまるわけもありません。

そんな未熟な私に不幸の影が少しづつ忍びつつありました。

▼第2話「詐欺にあい、マイホームを手放す」へつづく

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